ジンの発祥と歴史|オランダのジュネヴァからドライジン、日本のクラフトジンまでの年表

ジンの発祥は、オランダで生まれたジュネヴァ(イェネーフェル)だと伝えられます。「1660年にライデン大学のシルヴィウスが発明した」という説が広く語られてきましたが、それ以前の文献にジュニパーを使った酒の記録があるため、現在は留保つきで扱われます。オランダからイギリスへ渡った酒は、18世紀のジン・クレイズ、19世紀の連続式蒸溜機の登場を経て、甘味を足さないドライジンに落ち着きました。いま棚に並ぶジュネヴァ・オールドトム・ロンドンドライ・ニューウエスタンという型は、それぞれ別の時代の必要から生まれたものです。
ジンの発祥はオランダです。16世紀ごろに定着したジュネヴァ(イェネーフェル)が原型で、17世紀にイギリスへ渡って「ジン」と呼ばれるようになり、19世紀の連続式蒸溜機の登場で、いまのドライジンの形に落ち着きました。日本では1936年に国産のジンが生まれ、2016年以降はクラフトジンが各地でつくられています。
ジンの発祥をたどると、たいてい「1660年にオランダの医学者が薬としてつくった」という一行に行き当たります。ただしこの一行は、いまでは留保つきで扱われる話です。この記事では、どこまでが記録に残っていてどこからが通説なのかを分けながら、オランダからイギリス、そして日本へと渡った道筋を追います。そのうえで、いま棚に並ぶ型の名前が、それぞれどの時代の必要から生まれたものなのかまで線を引きます。ジンそのものの定義はジンとはにまとめています。
ジンの発祥はオランダ|ジュネヴァという原型
ジンの原型は、**オランダで生まれたジュネヴァ(イェネーフェル)**だと伝えられています。麦芽由来の蒸溜酒にジュニパーベリー(杜松の実)の香りを移した酒で、当初は嗜好品というより薬として扱われていたといわれます。
「ジン」という呼び名も、ここから来ています。ジュニパーを指すオランダ語の genever がイギリスで ginever となり、やがて gin に縮まった、という経路が一般に説明されます。文書に「gin」の綴りが現れるのは18世紀の初めごろとされ、それまでは長い名前のまま呼ばれていました。
記録としてさかのぼれるものには、次のようなものが挙げられます。いずれも「ジンの発明」を指す文書ではなく、ジュニパーを酒に使った痕跡です。
- 13世紀の博物誌に、ワインにジュニパーベリーを加える記述があると伝えられます
- 15世紀末のオランダの文献に、穀物を土台にした蒸溜酒のつくり方が残っているとされます
- 16世紀には、ジュネヴァがオランダで広く飲まれるようになっていたと考えられています
つまり、ある日ある人が発明した酒ではなく、ジュニパーを酒に移す習慣が長い時間をかけてひとつの酒の形に固まった、というのが発祥の実際に近い姿です。
シルヴィウス起源説は、いまは留保つきで語られる
ジンの発祥として最も広く語られてきたのが、1660年ごろにライデン大学の医学者フランシスクス・シルヴィウスが薬としてつくったという説です。日本語の解説でもよく見かけます。
ただしこの説には、以前から疑問が呈されています。シルヴィウスが生まれたのは17世紀の初めで、それより前の記録にすでにジュネヴァが登場するためです。時期が合わないことから、現在は「発明者」ではなく「その酒を広く知らしめた人物のひとり」として扱われることが多くなっています。
この記事で年号と人名を断定しないのは、この一点によります。ジンの発祥は、特定の発明者に帰せられるほど輪郭のはっきりした出来事ではない、というのが今の見方です。
年表で見るジンの歴史
節目だけを並べると、こうなります。右の列は、その出来事がいまのジンにどう残っているかです。
| 時期 | 出来事 | いまに残っているもの |
|---|---|---|
| 13〜15世紀 | ジュニパーを酒に使った記録が現れる | 「ジュニパーの香りが主」という定義 |
| 16世紀 | オランダでジュネヴァが定着 | 型としてのジュネヴァ |
| 17世紀 | 戦争を通じてイギリスへ伝わる | 「ジン」という短い呼び名 |
| 17世紀末 | イギリスが国産の蒸溜酒を後押しする | ジンがイギリスの酒になる |
| 18世紀前半 | ジン・クレイズと、たび重なる規制 | オールドトムジン(甘味を加えた型) |
| 19世紀前半 | 連続式蒸溜機が実用化される | 雑味の少ない土台の酒 |
| 19世紀後半 | 甘味を足さないドライジンが主流に | ロンドン・ドライ・ジン |
| 19世紀末〜20世紀 | カクテルの土台として定着 | マティーニをはじめとする定番 |
| 1936年 | 日本で国産のジンが発売される | 国産ジンのはじまり |
| 2000年代後半〜 | 小規模な蒸溜所が各地で立ち上がる | クラフトジン、ニューウエスタン |
| 2016年〜 | 日本でジン専門の蒸溜所の銘柄が出て、焼酎蔵・日本酒蔵も続く | 米や焼酎を土台にした国産クラフトジン |
年代の幅を持たせているのは、どれも一年で切り替わった出来事ではないためです。以下、この表を上から順にほどいていきます。
イギリスへ渡って「ジン」になるまで|ジン・クレイズとオールドトム
オランダの酒がイギリスに渡ったきっかけは、戦争だったと伝えられています。16世紀末のネーデルラントへの出兵や、17世紀前半の三十年戦争で大陸に渡ったイギリスの兵が、現地の兵が戦いの前に飲んでいたジュネヴァを持ち帰った、という筋立てです。英語の「Dutch courage(オランダ人の勇気)」という言い回しは、この頃の話として紹介されます。
決定的だったのは17世紀の終わりです。オランダからイギリス王位に就いたウィリアム3世のもとで、フランス産のブランデーの輸入が制限され、国内での蒸溜が後押しされました。蒸溜の免許が緩められ、税も軽くされたことで、穀物さえあれば誰でも酒をつくれる状況が生まれます。
イギリスにとっては、輸入に頼っていた酒を国内の穀物に置き換える政策でした。結果として、安いジンが大量に出回ることになります。
ジン・クレイズ|安いジンがあふれた18世紀
18世紀前半のロンドンで起きたのが、ジン・クレイズと呼ばれる時期です。安価なジンが街にあふれ、社会問題として扱われるほど消費が膨らみました。議会は繰り返し規制の法をつくり、18世紀半ばの法でようやく落ち着いたとされます。
オールドトムジンは、技術の不足から生まれた
土台の酒が粗かった時代、砂糖はそれを覆うための材料でした。(AIで生成したイメージです)
この時期に生まれたのがオールドトムジンです。当時の蒸溜は、いまのように雑味を取り除けませんでした。そのままでは飲みにくい酒を扱いやすくするために、砂糖を加えて覆ったのがこの型です。つまりオールドトムは、味の好みから生まれた型ではなく、技術がまだ足りなかった時代の解決策でした。
名前の由来としては、規制をかいくぐってジンを売った店の黒猫の看板にちなむ、という話がよく紹介されます。ただしこれは通説として語られるもので、確かな裏づけのある由来ではありません。
この型が19世紀に主流を降りたのは、覆う必要がなくなったからです。次の節がその理由にあたります。
連続式蒸溜機がドライジンを生んだ
19世紀の前半、蒸溜の仕組みが大きく変わります。それまでの単式蒸溜器は、一度の蒸溜でわずかな量を取るしかありませんでした。ここに連続式蒸溜機が現れます。原料を途中から入れ続けながら、塔の中で何度も蒸溜を繰り返す仕組みです。
左が単式、右が連続式。塔の中で何度も蒸溜を繰り返せるようになりました。(AIで生成したイメージです)
これによって、雑味の少ない澄んだ土台の酒が安定して手に入るようになりました。覆う必要のない酒ができれば、砂糖を足す理由はなくなります。19世紀の後半、甘味を加えないドライジンが主流に移り、その代表的な産地の名を冠してロンドン・ドライ・ジンと呼ばれるようになりました。
いまEUの規則がロンドン・ドライ・ジンに課している条件は、「香りは再蒸溜のときにだけ天然の植物から移す」「蒸溜後に甘味を足さない」「着色しない」の3点です。並べてみると、これは味の指定ではなく「後から手を加えない」という約束であることが分かります。覆う必要がなくなった時代に生まれた型だから、覆わないことが条件になっている、という順序です。
なお、この型は産地の呼び名ではありません。条件を満たせばどこでつくっても名乗れます。連続式蒸溜機そのものは日本の酒づくりにも入っていて、図譜ではニッカ カフェジンがその系譜を名前に残しています。型ごとの決まりごとはジンの種類に整理しました。
カクテルの土台になった19世紀末
同じころ、ジンはカクテルの土台として広がります。19世紀の終わりにはマティーニのレシピが文献に現れ、20世紀前半のアメリカの禁酒法下では、粗雑につくられたジンが密かに出回ったことも知られています。無色で、香りがはっきりしていて、熟成を要さない。この性質が、混ぜる酒として都合がよかったということです。いまも定番として残る組み合わせはマティーニの作り方、ジントニックの作り方にまとめています。
日本のジンの歴史|1936年の国産ジンから、2016年以降へ
日本でジンがつくられ始めたのは、1936年(昭和11年)に寿屋(現在のサントリー)が発売した「ヘルメス ドライジン」からだと伝えられています。都市部でカクテルが飲まれ始め、輸入に頼っていたものを国内でつくろうとした時期にあたります。イギリスで起きたことと、動機がよく似ています。
流れが変わったのは2010年代の半ばです。ジンだけをつくる蒸溜所が2015年に京都で立ち上がり、翌2016年に季の美 京都ドライジンが世に出ました。米の蒸溜酒を土台に、柚子・玉露・山椒といった土地の素材を組んだ設計です。以降、焼酎蔵・日本酒蔵・ウイスキー蒸溜所が次々にジンを手がけるようになりました。
なぜ日本の蔵がこれほど早く参入できたのか。理由は、ジンの定義の緩さにあります。
- 土台の酒の原料に決まりがない — 米でも麦でも焼酎でも泡盛でもジンになります。蔵がすでに持っている原料と設備がそのまま使えます
- 熟成を要さない — ウイスキーのように樽で何年も待たずに出荷できます
- 決まっているのはジュニパーが主役であることだけ — 残りの枠に、土地の素材を入れられます
ジュニパーだけを縛って、あとは自由にしておいた17世紀の定義が、300年以上あとの日本で効いている、という関係です。この自由度そのものについてはジンとはで、素材の側はジンの原料とボタニカルで詳しく見ています。「ジャパニーズジン」という表示のための基準や、クラフトジンという言葉の整理はクラフトジンとはにまとめました。
歴史は、いまの棚にどう残っているか
最後に、ここまでの流れを棚の言葉に置き直します。型の名前は好みの分類ではなく、それぞれ別の時代の必要から生まれたものです。
| 型 | 生まれた事情 | いまの位置づけ |
|---|---|---|
| ジュネヴァ | 原型そのもの。麦芽由来の蒸溜酒を使う | 地理的表示として存続 |
| オールドトム | 粗い酒を砂糖で覆う必要があった | 当時の型の復刻として少数 |
| ロンドン・ドライ | 覆う必要がなくなり、足さないことが約束になった | 現在の主流 |
| ニューウエスタン | ジュニパー以外の素材に幅を求めた | 通称。クラフトジンの多くがここ |
杜松の図譜には110銘柄を収録していて、公式サイトで型の記載を確認できたのは28本です。その内訳を見ると、この歴史がそのまま出ています。ロンドン・ドライ系が13本と最も多く、ジュネヴァタイプを名乗るのは1本。そしてオールドトムとプリマスを名乗る銘柄は、この110本のなかにありません。復刻の型は、名前ほどには売り場で出会わない、ということです。ジュネヴァの系譜では、オランダから蒸溜器を導入した佐賀県のSTILLDAMジン スタンダードが「ジュネバタイプ」として収録されています。数え方の詳細はジンの種類にあります。
残る82本は型を名乗っていません。国産クラフトジンの多くがここに入ります。歴史の側から見ると、これは型を名乗る必要がなくなった時代の姿だといえます。ロンドン・ドライという約束が意味を持ったのは、後から手を加えたジンが実際に出回っていたからでした。土台の酒の質が前提になった今は、名乗るべき差がボタニカルと産地の側に移っています。
度数の考え方はジンの度数に、樽で香りを得る酒との違いはジンとウイスキーの違いにまとめました。銘柄は図譜の一覧から1本ずつ辿れます。
よくある質問
ジンの発祥はどこの国ですか?
オランダだと伝えられています。麦芽由来の蒸溜酒にジュニパーベリーの香りを移したジュネヴァ(イェネーフェル)がジンの原型にあたり、16世紀にはオランダで広く飲まれていたと考えられています。その後イギリスに渡り、名前が短くなって「ジン」になりました。ただし、ジュニパーを酒に使った記録自体はそれより古い時代の文献にも見られるため、発祥を一国・一時点に限って言い切ることはできません。
ジンを発明したのはシルヴィウスですか?
広く語られてきた説ですが、現在は留保つきで扱われます。1660年ごろにライデン大学の医学者フランシスクス・シルヴィウスが薬としてつくったとされてきた一方で、シルヴィウスが生まれた17世紀初めより前の記録にジュネヴァが登場するため、時期が合わないと指摘されています。そのため現在は、発明者というより、その酒を広めた人物のひとりとして位置づけられることが多くなっています。
ジンはなぜ薬として扱われていたのですか?
ジュニパーベリーを使った酒が、当時は薬として扱われる分類に置かれていたためです。薬屋で扱われ、医師が常備していたと伝えられます。歴史としてそう記録されているという話で、現在のジンは酒類であり、その位置づけとは切り離して考えるものです。当サイトでは、この点について歴史の記述以上のことは書いていません。
ロンドン・ドライ・ジンはいつ生まれたのですか?
19世紀後半に定着した呼び名です。19世紀前半に連続式蒸溜機が実用化され、雑味の少ない土台の酒が安定して手に入るようになったことで、甘味で覆う必要がなくなりました。その流れで甘味を加えないドライジンが主流になり、代表的な産地の名を冠してこう呼ばれるようになります。いまEUの規則が定めている条件も、香りを再蒸溜のときにだけ移すこと、蒸溜後に甘味や着色を加えないことなど、「後から足さない」ことを軸にしたものです。産地の縛りはありません。
オールドトムジンはなぜ甘いのですか?
18世紀のイギリスでは蒸溜の技術がまだ雑味を十分に取り除けず、そのままでは扱いにくい酒を砂糖で覆っていたためです。味の好みからではなく、技術的な事情から生まれた型でした。19世紀に連続式蒸溜機が広まって覆う必要がなくなると主流を降り、現在は当時の型の復刻として少数がつくられています。杜松の図譜に収録した110銘柄のなかに、この型を名乗る銘柄はありません。
日本でジンがつくられ始めたのはいつですか?
1936年(昭和11年)に寿屋(現在のサントリー)が「ヘルメス ドライジン」を発売したのが始まりだと伝えられています。都市部でカクテルが飲まれ始め、輸入に頼っていた酒を国内でつくろうとした時期にあたります。国産クラフトジンとしての流れは2010年代半ばからで、ジンだけをつくる蒸溜所が2015年に京都で立ち上がり、翌2016年に季の美 京都ドライジンが世に出ました。以降、焼酎蔵や日本酒蔵の参入が続いています。